バングラデシュ不動産

『2度の独立宣言』バングラデシュの歴史の重要なポイントを徹底解説

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近年までは、海外不動産投資といえばフィリピンが加熱を見せておりましたが、これからはバングラディシュ不動産が加熱を見せると言われております。

本記事では、

「バングラデシュってどんな国?」

「簡単に歴史が知りたい」

というあなたに向けた記事となります。

バングラデシュの歴史については、少し複雑なのですが、1947年、1971年という短期間に2度独立した国であると最初に押さえておきましょう。

 

「2度」の独立を経たバングラデシュの歴史

バングラデシュは冒頭で2度の独立を経た国であると紹介しましたが、どこの国から独立したのか?

ご存知の通り、バングラデシュの位置する場所は、隣に大国インドがおり、見た目的にはインドの一部がバングラデシュのように見えますよね。

バングラデシュの右に広がっている大地もインドのものです。

かつては現在のパキスタン、インド、バングラデシュはイギリスの植民地であり、「インド」として統一されていました。

その後、イギリスのインド植民地支配が終わります。

その際宗教がヒンドゥー教とイスラム教に分かれ、

インド=「ヒンドゥー教」

パキスタン=「イスラム教」

となり、パキスタンは西パキスタン、東パキスタンと2地域の「飛び地」となりました。

【飛(び)地】

① 他の区域内に離れて存在するが、行政上は主地域に属する土地。
② 江戸時代、城付きの領地に対し遠隔地に分散している知行地。飛び知。
③ 江戸時代、親村と地続きでなく他村内にある土地。

引用:飛び地とは

この時の「東パキスタン」が現在のバングラデシュですね

引用:外務省

これが1947年の「1度目」の独立になりますが、この時はまだパキスタンの一部(東地方)だったんですね。

パキスタンの田園風景

短い時を経て1966年、東パキスタン(現バングラデシュ)のシェイク・ムジブル・ラーマン率いる政党(=現・与党アワミ連盟)が、パキスタンからの独立に動き出します。

ムジブル・ラーマン氏引用:NHK・解説委員会

与党アワミ連盟は東パキスタン地域の国防、外交、通貨を除く完全自治を主張。

これに対してパキスタン中央政府はシェイク・ムジブル・ラーマンを危険因子として逮捕します

しかしそれがきっかけとなり、東パキスタンでストライキなど暴動が多発しました。

パキスタンの革命

独立に向けての熱は下がらず、1971年には独立を叫ぶ東パキスタンとパキスタン中央政府の「独立戦争」が勃発します。

近隣国で関係の深いインドの東パキスタン独立支持もあり、4月10日、ついに「バングラデシュ人民共和国」として東パキスタンは独立宣言し、シェイク・ムジブル・ラーマンが初代首相(その後大統領に)に就任しました。

しかし、その次の月である1971年5月、パキスタンはバングラデシュを制圧し、東パキスタンにも独立への反乱分子がおり、ベンガル人の大量惨殺が起きます。

印パ戦争この時、インドが登場し、パキスタンを侵略、12月に「印パ戦争」が勃発。

インドとその係争中の領土印パ戦争(いんパせんそう)は、インドとパキスタンの間で行なわれた戦争のこと。第一次(1947年)、第二次(1965年)、第三次(1971年)と、両国間ではこれまでに3度の戦争が行われている。第一次と第二次はカシミール紛争の過程で、第三次はバングラデシュの独立に際して勃発した。インド・パキスタン戦争とも表記する。

参考:印パ戦争

軍事力は上をいくインドがパキスタンを制圧し、1971年12月に正式にパキスタン中央政府はバングラデシュの独立を認めることになりました。

これが「2度目」の独立ですね。

  • バングラデシュ、パキスタンはイギリスの植民地とされていたインドだった。
  • 1947年にイギリスのインド植民地支配が終わる。
  • 宗派の違いによりパキスタンがインドを挟んで東西に分離、飛地となる。
  • 東パキスタン(現バングラデシュ)がパキスタン中央政府に対し「独立運動」を実施。
  • 1971年4月10日にインドの支持もあり、東パキスタンは「バングラデシュ人民共和国」として独立宣言。
  • 1971年12月16日にインドがパキスタンを制圧し、独立が正式に認められる。

終わることのないバングラデシュ国内の混乱

独立した後も、国内の軍事政権は落ち着きを見せることはなく、1975年8月15日には軍将校のクーデターにより、初代大統領の職に就いていたムジブル・ラーマンは家族と共に陸軍部隊に殺害されます。

その後、大統領の後任には、前商業・土地収益大臣であり、ムジブル・ラーマンの殺害を計画したグループのひとりである「カンデカル・モシュタク・アーメッド」が就任。

クーデター後は軍事政権の時代が続きます。

バングラディシュ民族主義党を率いる軍人大統領「ジアウル・ラーマン」による 独裁政治が始まります。

しかし彼もまた、軍内部の反乱により殺害されてしまいます。

その後、1982年に無血クーデターで政権を掌握した軍人の「エルシャド」戒厳令司令官が軍事政権を樹立しますが、学生運動等による民主化の波に押され、1990年に退陣。

軍事政権から民主化へ

以降、バングラデシュでは民主的手続きによる政権交代が定着。

1991年2月の選挙ではバングラデシュ民族主義党(BNP:Bangladesh National Party)、1996年6月の選挙ではアワミ連盟、2001年10月の選挙ではBNP、ジャマティ・イスラムを中心とする4党連合が勝利しました。

バングラデシュでは1996年6月の総選挙以降、公正・中立な選挙を目指し、選挙管理内閣(暫定的)の下で総選挙が実施されてます。

公正・中立な選挙を目指すために、BNP政権下の1991年9月に、大統領が行政の実権を握る「大統領制」から首相が実権を握る「議院内閣制」に変更するための憲法改正が行われていたのです。

1990年代の民主化移行後、経済自由化政策が積極的に推進され、1992年以降、年平均4.8%の経済成長を達成。

1981年より導入されている世界銀行・国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)の構造調整政策も1991年以降本格化し、財政、金融、貿易部門の改革、公的部門の合理化、民間部門の活性化、規制緩和、海外直接投資の促進などが実施されてきました。

その結果、インフレ率、財政赤字、外貨準備高など、マクロ経済安定に比較的成功しており、縫製品、ニットウェアなどを始めとした製造業、建設業、エビを中心とした漁業が高い成長率を記録しています。

1996年6月以降、アワミ連盟前政権下の積極的な財政・金融拡張政策は、GDP成長率平均5%以上の達成を導く一方で、財政赤字の拡大や外貨準備高の減少などマクロ経済の不均衡を招きました。

他方、2001年10月以降のBNP主導現政権下では、マクロ経済の安定化を図る一方で課税対象の拡大を柱とする税制改革に取り組んでいます。

2003年度(2003年7月-2004年6月)の成長率5.5%は、2002年度の5.3%に引き続き安定を示しています。

2009年に誕生した「ハシナ・アワミ」連盟政権は、独立50周年にあたる2021年までに中所得国になることを目標とする「ビジョン2021」政策を掲げています

内容としては、全国IT化を目指す「デジタル・バングラデシュ」とインターネットによる効率化を徹底的に目指すという思いの表れでしょう。

また、2021年までに「中所得国入り」を目標に掲げ、

  • インフラ整備
  • 産業多角化
  • 海外含む投資促進
  • ガバナンスの強化
  • 貧困の撲滅
  • 保健・教育
  • 防災

といった課題に取り組んでいますね。

ちなみにハシナ・アワミ連盟・総裁は「シェイク・ハシナ」で、「バングラデシュ独立の父」の初代大統領ムジブル・ラーマンの長女です。

彼女はダッカ大学卒(日本でいう東大)で、パキスタン占領軍に拘束されたこともあるんですね。

バングラデシュのアワミ連盟とバングラデシュ民族主義党引用:NHK・解説委員会

以下が、ハシナ首相の経歴です。

期間職務等
1947年「バングラデシュ独立の父」で初代大統領ムジブル・ラーマンの長女として生まれる
1971年パキスタン占領軍により拘束されるが,その後釈放
1975年父ラーマン大統領,母,弟がクーデターにより暗殺
ドイツ滞在中で難を逃れる
その後,家族と共に英国およびインドで亡命生活を送る。
1981年アワミ連盟総裁に就任,帰国
1990年軍政から民主化への政治運動を野党党首として指導(エルシャド大統領を平和的に退陣させた)
1996年首相に就任(1期目:5年間)
2009年首相に就任(2期目:5年間)
2014年首相に就任(3期目)

引用:外務省

2014年には、BNP率いる野党18連合がボイコットするまま総選挙が実施されましたが、与党アワミ連盟が難なく圧勝。

2018年末から2019年初頭にかけて総選挙が予定されています。

直近の経済情報は別記事で書いておりますので、興味のある方はそちらを読んでみてください。

簡単なバングラデシュの歴史はここでひとまず完結しますが、今後も随時、年代ごとの詳細記事を書いていきたいと思います。

その他にも、現在海外投資先としてバングラデシュは非常に魅力的な市場ですので、興味のある方は他の投資先と比較の上、検討してみましょう。

以下の記事では他の投資先とも比較できるので、積極的に投資は検討してみましょう。投資は情報が命です。

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ここは早い者勝ちなので機会損失だけは絶対に避けましょう。

以上