これまでに私のサイトでは世界金融危機(リーマンショック)や、アジア通貨危機、加えて日本バブル崩壊についてもわかりやすく解説してきました。
以下は世界経済危機の記事を執筆する度に列記している代表的な事象です。
- 2008年:リーマンショック
- 2001年:ドットコムバブル崩壊
- 1997年:アジア通貨危機
- 1987年:ブラックマンデー
- 1971年:ニクソンショック
- 1929年:ブラックサーズデー
この流れで、今回はITバブルがどのように起こり、崩壊していったのかを解説していこうと思います。
Contents
ITバブル(ドットコムバブル)の兆候・当時はどんな時代だったのか?
現在、私たちの生活ではインターネットがなくなると、またはiPhoneが明日から使えない!という状況に置かれれば途端に不便だと感じてしまう世の中になりました。
旅行に行ってもスターバックスなどのWi-fiを探す時間が多いのではないでしょうか。
仕事でも、生活でも、家族、友達、恋人との連絡もインターネットを利用していますよね。
2000年以降に生まれた子供はITのない世界など知らないので、インターネットのない世界なんて信じられないでしょう。
そのインターネットがここまで加速したのは、1980年代から徐々にパソコンが普及し、1995年にマイクロソフトがWindows95を発表したことが起点になりました。一つの大きな箱にスクリーンが映し出され、画面いっぱいのデスクトップには色んなファイルアイコンが並べられ「難しい計算」から「人とのコミュニュケーション」もその「大きな箱」を通じて効率よくできてしまう、世界中の人と繋がれてしまう時代になりました。
インターネットは人々の生活をこの20年間で大幅に変えてきましたが、まさに1990年代のマイクロソフト社が発表した「Windows95」の出現を前にして、一気に世界はインターネットに熱狂し、ITへの関心が加速していたのです。
1990年代のアメリカ・ベンチャービジネスの熱狂
まず、1990年代後半ですが、世界では過剰に流動性選好が高まっていました。
流動性選好が高まるとはつまり、
- 現金、
- 都心不動産、
- 大企業株、
- 国債、
- 銀行預金、
- 中古車、
など物資に資金が集まっており、不景気の波真っ只中でした。
この頃は日本のバブル崩壊や欧米の経済低迷もあり、日米欧がこぞって金融緩和(=政策金利低下)を敷いている時代だったのです。
1997年頃にはアジア通貨危機、1998年に世界最大のヘッジファンド=LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)が破綻し、数々の投機マネーが引き上げられていき、世界経済は低迷していきました。
LTCM破綻危機
1998年の秋頃に発生した、アメリカ合衆国の大手ヘッジファンドLTCMの実質破綻による金融危機をいいます。
また、LTCMとは、「Long Term Capital Management(ロングターム・キャピタル・マネジメント)」の略で、ソロモン・ブラザーズで活躍していたトレーダーのジョン・メリウェザーの発案により設立され、1994年に運用を開始し、その取締役会の中には、FRB元副議長のデビッド・マリンズ、ブラック-ショールズ方程式を完成させ、共に1997年にノーベル経済学賞を受賞したマイロン・ショールズとロバート・マートンといった著名人が加わっていたことから「ドリームチームの運用」と呼ばれ、世界各国の金融機関や機関投資家、富裕層などから巨額の資金を集めました(本部は、米国コネチカット州)。
引用:LTCM破綻危機とは
アメリカでは、GM(ゼネラル・モーターズ)を筆頭とした「自動車産業」やGE(ゼネラル・エレクトリック)を主体とした「家電産業」などの業績が落ち込み、「産業構造の転換」が求められた時代でした。
その裏で、1990年より前、1989年代に人々の生活にパソコンがどんどん普及していきました。
世界中の人々とネットワークを通じて交流ができるようになると、ビジネスも大幅に加速します。
アプローチできる人数が自分のコミュニュティだけではなく、国内外に無尽蔵に広がり「青天井」になるのですからね。
しかし、この頃は人々の生活にインターネットが根付いていくのは少しスローでした。
魅力がまだまだ伝わっていなかったのです。
この箱がまさか人々と繋がれるとはなかなか信じ難いですからね。
しかし、1995年についにWindows95が満を辞して発売され、IT産業は軌道に乗りました。
Windows95を販売したマイクロソフトの時価総額は6,000億ドルを超え、ビルゲイツは世界有数の富豪となり、「時の人」ともなりました。
ビルゲイツの活躍は若者を熱狂させ、強いビジョンを持つ若手は次々にインターネットを活用したベンチャービジネスを始めました。
今では日本でも起業をする!と言えば「第二のザッカバーグ(FacebookのCEO)を目指すのか」と言われますが、これもITビジネスですよね。夢があります。

ここまでの流れが「IT革命」です。
インターネットは物質・情報商品の主に「流通」に革命を起こしたのです。
例えば、今では私たちの生活に根付いてしまっている「AMAZON」は、インターネット上に仮想の書店を開設しました。
これにより、わざわざ外出し、本屋に行かなくても家で本がゆっくり選べ、決済手続きを済ませれば家に商品が届くようになりました。
本屋のコミッション(場所代)も乗らないので本自体も割安にもなります。
1990年半ば以降、パソコン部品関連のIC(集積回路)製造業、コンピュータ本体の製造業、ソフトウェア(Windowsなど)産業、通信企業などはどんどん発展し、アメリカ経済の高成長に大きく貢献しました。
IT関連企業のアメリカ経済の影響は、米国経済成長率が平均4%だった1996年〜1999年にかけてIT部門が、アベレージでGDP7%を占め、アメリカの実質経済成長に対する平均寄与度は29%に達したとされています。
昨今は日本でもITベンチャー(スタートアップ)に投資するのがトレンドになってきましたが、20年も早くこのようなトレンドがアメリカではすでに起こっていました。
インターネットを起点に産業が活況になると、次々とITベンチャーが台頭していきました。つまりは起業家も増えますので単純に経済は急速に活性化していきますよね。
マイクロソフトの株価が上昇するのは理解できるも、当時は赤字続きだったアマゾンの時価総額が300億ドルを超え、アメリカオンライン社の時価総額は1600億ドルを超えました。以下はマイクロソフトの2000年にかけての株価の変動です。
Windows95の発表から、一気に株価が上昇していますね。
株式市場は盛り上がり、ついには当時は主要ビジネスが不透明だった今では「世界最大のコンピュータネットワーク機器開発会社」となったシスコ社の時価総額が5000億ドルを超え、世界一になってしまったりと狂気のようなアメリカ株式相場となっていました。
以下は当時のアメリカ株式市場の推移です。
この頃のアメリカはGDPが毎年平均4%で成長、失業率も5%以下に低下し、財政収支も30年ぶりに黒字化しました。株価も上昇と、全てプラスに転じていた時代です。
引用:World Economic Outlook Database, October 2017を元に筆者作成
実は日本でもITバブルが起きていた?ソフトバンク、光通信の栄光
日本のITベンチャーで現代では老舗のような存在の企業と言えばどこでしょうか?孫正義さんのソフトバンクですね。
当時、ソフトバンクの株はうなぎ昇りでした。

引用:SBI証券を元に筆者作成
ソフトバンクは2000年2月、一株約20万円の高値を付け、当時の株式時価総額はトヨタ自動車の16兆円を「超える」21兆円と躍進していました。
その他にも光通信、NTTドコモ、三木谷さん率いる楽天が続きます。
光通信の株価は特に異常で、60億円の黒字見通し水準で光通信社長の重田さんは「世界5位」の富豪にForbsでランクインしましたが、携帯電話の架空契約にて粉飾決算がバレて同社の中間決算で大幅な赤字を発表。
20営業日連続ストップ安(!)となり株価は最高値の67分の1まで下落、あっという間に地に落ちていきました。
引用:Forbes
以下は参考までに光通信の株価の推移です。ソフトバンクの20,000円/株を超えていますが、暴落も凄まじいですね。短期間の「伝説」でした。
引用:SBI証券
余談ですが、私の知り合いにも光通信出身の方が何人かおり、この頃の光通信は社内にも実力者が多く、今はそれぞれの元社員が光通信を飛び出し、起業し成功を収めている人達ばかりです。
例えば、女性の生理周期を管理する「ルナルナ」など有名アプリをローンチしているMTIの社長も元光通信社員です。
引用:MTI
バブル期は契約の架空契約など問題を起こし、当時は善と悪の両方を兼ね揃えた企業でもありましたが、ヒリヒリするビジネスを実行し結果を出していく人たちなので、有数の起業家輩出企業と言えるのかもしれません。
ここまでのITバブルが起こった原因を簡単にまとめた上で次の項目に移動しましょう。
- 金融緩和で世界の投資マネーが過剰流動選好相場であり、世界中が新たな投資先を探っていた。
- アジア通貨危機とLTCMの破綻で、マネーの投資先が限定されており、生活にインターネットによる革命が身近に感じられたこともあり、IT関連銘柄への投資は合理的な選択であるように思える状況だった。
- ビルゲイツや孫正義が大富豪にのし上がったことが、IT関連銘柄への投資家心理を加速させた。
ITバブル崩壊・歴史は繰り返すものでありバブルはいつか必ず弾けるもの
1995年にWindows95が発表された5年後、2000年に入った頃にITバブルに徐々に陰りが見えてきました。
「ブームがいき過ぎでは?」
という空気がアメリカを始め、世界中で流れ始めました。
- 高い株価、
- パソコン機器の普及の打ち止め、
- 次々に倒産するITベンチャー、
などのニュースが相次いだためです。
特にパソコン機器を供給するために工場設備など大型投資をした企業は多かったのですが、パソコンはそこまで頻繁に修理などが必要なく、ストックビジネスのような構造にできず、小さなスポット契約が多くなれば必然的に企業はジリ貧になっていきます。
市場が飽和状態になるんですね。作っても作っても在庫が膨らむばかりです。
NASDAQも2000年前半以降はIT関連銘柄から資金を引き揚げ始めました。2001年には、IT機器とソフトウェアへの企業投資は減少、これは10年ぶりのことでした。
アメリカ国民の個人消費は他国に比べて大きいというのは一般的な知識ですが、バブル崩壊時は個人の消費も株価が急激に下がり始めると不安を感じ、消費が落ちていきます。
アメリカは投資が文化のように根付いている国ですが、ITバブル期は特に、株式投資を実行し売却益を元に消費を拡大していました。当時のアメリカの家計資産の54%超が株式関連に投資されていたのです。
ITバブル期は株価が上がっているものですから、消費もそれに乗じて拡大していきますが、値下がれば消費も下降線となるのは想像に容易いところですね。
一旦不況に陥いれば、企業のLay-off(解雇)が始まります。
2000年から2002年の末にかけ、アメリカの主に製造業の労働者の人員削減がなされました。一応、もう一度GDP推移と失業率を確認してみましょう。
引用:World Economic Outlook Database, October 2017を元に筆者作成
2000年を境にGDPは下降線、失業率は上昇していますね。
ITバブル絶頂期は株価も手を出しにくい価格まで高くなり、ベンチャー倒産などのニュースをみて、人々は目が覚めたかのように投資を控えるようになっていきました。
日本バブル崩壊やリーマンショックであれば、
「無限ループが繰り広げられる金融政策」
が要因であると言えるのですが、ITバブル崩壊はこのような感情論に収斂してしまうので、解説が難しいところですね。
IT革命に浮かれた投資家と国民がマネーをつぎ込んでいましたが、夢から覚めたというところでしょうか。実は平常運転に戻っただけだったのです。
但し、バブルは終わってもIT産業はその後も成長を続け、人々の生活を良くしていったものであることは変わらず、様々な革新が起きましたね。
アメリカのITバブルからの復活・9.11の世界同時テロとの関係
さて、ITバブル崩壊からアメリカはどうやって復活を遂げたのでしょう?
「軍事特需」という言葉があります。
2001年と言えば、ITバブル崩壊の年でもあり、世界同時多発テロが発生した年でもあります。
引用:CNN
ITバブルが崩壊しかけていた頃、テロが起こり、アメリカの株価はどん底まで落ちました。これがITバブルへの実質的な「トドメ」になったわけです。
アメリカの市場は大混乱、ITに関わらず、様々な銘柄の株が投げ売られました。もう一度、アメリカ株式市場の推移を確認してみましょう。
世界同時多発テロが起きた2001年から2003年頃まで株価は落ちていますが、アメリカはテロを受けて、やらなければならないことがあります。戦争ですね。アフガニスタン紛争です。
アフガニスタン紛争とは、同時多発テロの首謀者である「ウサマ・ビン・ラディン」率いるアルカイダの引き渡しをアフガニスタン政権に対して要求したものの、これが拒否されたことにより始まった紛争となります。
この紛争はブッシュ政権が計算の上、実行したものではないかという陰謀論も多くあります。なぜなら、軍事特需に乗じて、アメリカ経済は株価が上昇に転じたからです。
https://www.youtube.com/watch?v=XznJvPhan0c
政府が戦費を使うことにより産業が復活するということです。政府の支出を正当化したということですね。そして、FRBもこの頃、狙ったかのように政策金利を3ヶ月で4回の引き下げを実行しています。
戦争がなぜ経済成長を支えるのかを簡単に説明すると、
- IT産業に寄与する
- 機械業、つまりは航空・宇宙業・電子業・通信業にも寄与する
- 戦後の復興需要にて建設業に寄与する
- 中東の石油産業を戦争に勝つことで牛耳れる
- 上記4つを予想できるので企業の株が買い支えられる
ということになります。
IT産業に関しては、新型兵器に搭載し、その兵器を支えるソフトウェア、システムなどの需要が一気に高まります。例えば米軍のヘルメットにも夜間暗視スコープやGPSがつきますね。これは全てIT技術によってなされるものです。新たな技術の開発にも繋がっていきます。
機械業は軍事品需要で急速に成長していきます。国が大量に購入するわけですから、産業として拡大していきます。戦後の復興は、単純に壊れた建物の修復が必要です。
残りは「石油産業」ですね。アフガニスタンとの戦争は、復讐という大きな意義がありましたが、アメリカとしては中東に眠る油田を、アフガニスタンを降伏させ、植民地とすることで牛耳ろうと考えます。実際にその後、アフガニスタンで親米政権を樹立しましたね。半植民地化の成功です。

これらのことを掛け合わせ、アメリカの経済はITバブル崩壊を脱し、リーマンショックが起こるまでは順調に成長していきました。
ここまでうまく成長していくと、テロ自体がアメリカの陰謀だったのではないかという話が出てくるのも無理がないですね。
最後に後半のポイントをまとめましょう。
- Windows95が発表された5年後の2000年に入った頃にITバブルに徐々に陰りが見え、高い株価、パソコン機器の普及打ち止め、ITベンチャーの倒産が相次いだ。
- 2000年を境に米国GDPは下降し失業率が上昇、国民の投資控えが始まった。
- ITバブルは、革命に浮かれた投資家と国民が夢をみていただけであり、バブル崩壊は実は平常運転に戻っただけだった。
- 米国株価は911・世界同時多発テロを機に株価はどん底に暴落するも、アフガニスタン紛争で軍事特需に乗じて株価が上昇に転じた。
- FRBもこの頃、狙ったかのように政策金利を3ヶ月で4回の引き下げを実行しており、陰謀論が囁かれた。
- アメリカはアフガニスタンで親米政権を樹立し、半植民地、油田取引を有利にした。
- これにてアメリカ経済はITバブル崩壊を脱し、リーマンショックが起きるまでは順調に経済成長した。
むすび
今回は、ITバブル崩壊について解説してきました。やはり、当たり前ですが、投資を考える時は市場を常にウィッチし敏感に動けるようにしておくことが非常に大切です。
急激な株価や不動産価格の上昇が起きている時はどこかに要因となる仕組みが構築されているか、人々の狂気のみが要因の場合もあります。
ITバブルの発生に関しては、リーマンショックで言うサブプライムローンに乗じたCDO、日本バブルでは「財テク」などの仕組みの構築に乗じた狂気ではありませんでしたので様々な見解が出されていますが、当時は投資先が「限られていた」という状況も勘案しなければなりません。
投資をする際には、まずは「世界経済の状況」を把握することが大切ですね。
[…] https://overseas-realestate.jp/dot-com-bubble/ ITバブル崩壊の原因は?株価急騰するドットコムに熱狂した米国経済 […]